群馬大学GA研究会 なんでもにっき

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デスノート最終回を読み解く

どうも飛びイカです。応化の皆さんはレポート頑張ってください。


まあ僕の経験から言えば、徹夜すれば「陽イオン~」は終わらせることができますんで。


下のアニソンを聞いて頑張ってください。








えー今日は、デスノートが終了したってことで、デスノートの最終回の


考察でもしましょうかね。もちろんネタバレを含みますし、真面目な文章は


読みたくないって人はリターンして下さい。






<応化の人のためにアニソン特集>




○ ヴァンドレッドOP


○ 忍空OP


○ 東京アンダーグラウンドOP


○ デジモンアドベンチャーOP


○ カウボーイビバップOP


○ 魔法先生ネギま!OP


○ ぼのぼのED


○ あずまんが大王OP


○ るろうに剣心OP(1/2)


○ るろうに剣心ED(1/3)


○ テイルズオブシンフォニアOP(GC版)


○ テイルズオブファンタジアOP(OVA版)


○ テイルズオブジアビスOP


















































とうとうデスノートが終了しました。結果から言いますと僕の予想は大いに


ハズレてしまいました。






僕的には、最終回の内容はちょっと1回読んだだけでは意味が分からないんじゃないか?


と思える内容でしたね。


それに、別に「ミサのお腹に月の子供がいる」とか、


「今までになかったデスノートが出現して誰かが拾う」といった今のハリウッド映画に


ありがちな「まだ終わらない」的な最終回ではなく、盛り上がりに欠けるものでしたし。










えー、それでは肝心の最終回の内容を僕の勝手な解釈も添えて記していきます。
















最初のページは、死神界から始まります。しかしリュークは出てこず、あくまで死神界から


人間世界へと場面が転換していく様が描写されています。今後、死神界の描写はなく、


リュークも結局出てきません。


何故リュークが最終回に出なかったのかは難しい疑問ですが、おそらく「キラ事件」の


発端ともいえる存在であるリュークを登場させないことで、「キラ事件」が完全に


解決したということを、読者に心理的に印象付けるためではないかと思われます。


このようにリュークは登場しませんでしたが、次のページであるタイトル扉では


リュークの好きだったリンゴが描かれており、その隣には「赤は生命の色」という言葉が


掲載されています。


この言葉には、普段どこか抜けていたリュークが「リンゴ=生命」を食べていた、


ということを僕たちに連想させ、いつの間にか忘れていた、リュークの死神としての


禍々しさや恐怖感を再確認させていると考えられます。














次に場面は現在の人間界(日本)に移ります。月(ライト)が死んだあの事件から


ちょうど1年たっており、ここでは松田と伊出との会話が主軸となって話が進みます。


主な内容としてはさんざん語られた「これで良かったのか?」という話と、魅上が死んだこと、


倉庫での最終決戦での補足、といったことが記載されていました。









中でも印象的だったものの一つとして、伊出のデスノートに関する






「史上最悪・最強の殺人兵器だ」



というコメントです。


このコメントで、警察側の主張が








「キラは結局悪」「これで良かった」


といった明確なものになり、この後紹介する次の場面に深く関わってきます。









































そして、もう一つこの場面で取り上げたいのが、伊出が松田に言った









「おまえ月くんを好きだったろう?」





というコメントです。もちろん、これは同性愛としての好きではなく、憧れの意味での


好きであると考えられます。














「夜神月」は大量殺人者である「キラ」でしたが、その表の顔は正義感に溢れ、


ずば抜けた推理力を持ち、人を引き付ける才能を持った、カリスマ性のある人物でした。












松田は正義感のある、という点で月に親近感を覚えると共に、自分には無い要素を持った月に、


年下ながら尊敬に近い感情を抱いたのでしょう。










そして、そんな感情を持ち合わせていたからこそ、月がキラと判明した瞬間、


「裏切られた」という感情が芽生え、最も怒りをあらわにしたと考えられます。














つまり、この場面の役割は



○  倉庫での推理合戦の補完


○  警察・一般的な人の「これで良かった」という意見の確立


○  松田の月に対する行動と感情の因果関係の詳細




であるといえます。
















次に、場面は一転して、どこかの山脈に移ります。時間は夜、空には三日月。


その山脈の尾根を、大勢の老若男女が列を作り登っていきます。


その顔に深い悲しみ・絶望が浮かべて・・・


そして、頂上にたどり着いた人々の列を割って、一人の人物が歩み出て、


絶壁にロウソクを置き、一言「キラ様」とつぶやきました。


その次のコマは、また三日月に移り、次ページでその人物の顔が明かされます。




























20060515224737.jpg





「ミサ?」



















そして、ロウソクのアップになり、デスノートは終わりを迎えました。















最後のこの人物に関しては様々な意見があるでしょうが、僕は「ミサ」であるという


意見を推します。



まあ、その説明は後ほどするとして、この場面の解説を行いたいと思います。



















まず、場面転換した際に、最初に三日月が描かれていました。



これは時間的な流れから、この場面が日本ではない何処かであるということを表しています。


そして、ここで重要であるのが三日月が目立つように描かれているということです。


皆さんもお気づきでしょうが、この三日月は「月(ライト)」を示唆しているのでは


ないかと考えられます。


「夜神月」という名前を知っている読者にとっては、この描写によりこの三日月が


月を表しているものと判断がつくことでしょう。そして、敢えて三日月を描くこと、


表情が絶望に染まっていることから、次に出てくる大勢の人々が、




「月=キラによって救われた




 人々の集団」





であると暗に示しているのです。














また、皆さんに考えてもらいたいのが、何故満月ではなく、



中途半端な三日月なのかということです。













シーン的には満月でも問題ないはずです。しかし、このシーンでは満月を使わなかったのです。


いや、敢えて使わなかったのです。


何故なら、そもそも満月には何かが成就したことを比喩するという働きが昔からあったからです。










有名な例を挙げると、藤原道長の歌などがそれにあたります。





つまり、この三日月は満月とは逆に「願いが成就しなかった」という比喩なのです。



したがって、この三日月は月が「新世界の神になる」という願いを叶えることが



できなかったことを表しているのです。













さらに、大勢の人々が悲しみや絶望を浮かべて歩く様は、まるで想像上の地獄


(マンガ中に地獄も天国もないと明記されているため)を彷彿させます。


この一見地獄とも見える衰退的な様子が、前の松田と伊出の





「これで良かった」




という楽観的な意見を、皮肉している風にもとることが出来ます。














さて、いよいよこの文章の醍醐味である









「最後に出てきた人物はミサなのか?」





を検証していきましょう。
















まず、松田と伊出の会話を思い出してみてください。確かに魅上は死んだということは、


はっきりと明記されています。しかし、肝心のミサがどうなったのかは、


二人の会話では明らかにされていないのです。




















次に、この人物が集団を割って歩み出てきたことです。


このような大勢の集団を引き連れ、列を割るということは、この人物が


集団の中心人物であるといえます。この集団はキラに関係するものなのですから、


その中心人物はキラと直接的な関係があった人物であると考えられます。






























そして、最後に挙げるのが、この人物が「キラ様」とつぶやいた後のコマが、


三日月を中心としていることです。







これは、マンガではよく使われる手法で、






人物の次に、その人物が見た






景色や物などを描くというもの
です。










わかりやすい例を挙げますと、「よつばと!」のワンシーンがあります。








20060517221957.jpg








これは、よつばのお隣の次女である風香が、バスに乗ってしまったよつばを


驚きながら見送るというシーンです。


ここでは、まず最初に風香の顔のアップを描き、次に風香の位置から見たよつばを


乗せたバスを描くことで、風香と読者の視線を同一化するという技法なのです。








デスノートのこの場面でも、「人物→背景・物」というコマの進め方から、


この人物と読者の視線を同一化し、「三日月を見た」という事実をよりいっそう


強める働きがあるのです。







つまり、この人物は「キラ様」とつぶやいた後に、




三日月を見た







といえます。




先ほど述べましたように、この三日月は夜神月を示唆しているもの考えられます。


そして、この人物は「キラ=月」という事実を知っているからこそ、キラの名前である


「月」を見たのではないでしょうか?
























ここまでをまとめますと













前提条件:ミサは作中では生死不明である








○  この人物は何かしら、キラである月と直接的関係があった





○  キラの名前が「月」だと知っていた













この2つの条件を満たす人物で、尚且つ確実に死んだと言えない人物は






ミサしかいないのです。




つまり、この人物はミサである可能性が高いといえます。















しかし、もしも何かしらの形で「キラ=月」という情報が他の人物に流れていた場合は、


この仮説は成り立ちませんし、そもそもミサであるとすれば、何故最後に


「ライト」と言わずに「キラ様」といったのかが謎なのです。



























何はともあれ、この場面の役割は




「結局何が正義かは分からない」




ということです。



警察側の言い分も正しいですし、キラによって救われた人々がいるのも事実です。


この場面では、キラを失って悲しむ人々を出演させて、そういったロジックに関することを


読者に再認識してもらうために存在しているのです。


































デスノートは少年誌とは思えない、スリリングな内容と本格的な推理で大ヒットを記録しました。



しかし、最後の最後で僕たちに





「正義とは何か?悪とは何か?」





といった哲学的な問題を提起したのです。



そして、一つの選択の裏には、必ず損をしたり、不幸に遭う人が存在すると



僕らに呼びかけているのです。























そんなことを考えながら、もう一度デスノートを読み返してみようと思った




飛びイカでした。






長文スマソOTL



まとまってね~な~














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COMMENT

ミサはデスノートの所有権を放棄しているためライトがキラだという記憶を失っているはずでは?

| 名無しのGA研究会 | 2014/07/13 19:50 | URL |

なんかミサはライトが死んだ後に自殺してるらしいですね(ソース不明)
飛びイカの、考察は、当てにならない


つーか古い記事をサルベージすんの恥ずかしいからやめちくりーw

| 飛びイカ | 2014/07/14 14:46 | URL |















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