仁義無き戦い ~東京の地下に鉄道を~
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大分間を空けてのシリーズ第3回。
よさげなネタが見つかったもんでw
大分間を空けてのシリーズ第3回。
よさげなネタが見つかったもんでw
“地下鉄の父” VS. “強盗”
時は1881(明治14)年。
後に“地下鉄の父”と呼ばれる早川徳次がこの世に生を受けます。
(※某電機メーカーの創業者とは別人だよ!)
早川はW稲田大学在学中に後藤新平と出会い、卒業後は満鉄へ入社。
その後鉄道院に入局し、東武の初代社長 ・ 根津嘉一郎の右腕として活躍します。
そんな中、国際事情視察で訪れたロンドンの光景に早川は衝撃を受けます。
路面電車などどこを探しても見当たらず、聞けば「電車は地下を走っている」とのこと。
早速乗車した地下鉄に早川は深い感銘を覚え、「東京にも地下鉄を」と決意します。
しかし、早川の先見性は当時ほとんどの人に理解されず、
先述した後藤や根津、それに財界の渋沢栄一らが応援してくれただけでした。
彼らの応援もあり、早川は晴れて『東京地下鉄道株式会社』を設立。
計画途中に関東大震災に見舞われるわ、工事で事故は多発するわと苦難しますが
晴れて1927(昭和2)年12月30日、浅草~上野間に日本初の地下鉄を開業させます。
上野駅前の長蛇の列に、早川は感極まって泣き崩れたと言います。
その後も資金繰りに苦労しつつも、路線は新橋まで延長。
最終的には品川まで伸ばし、京浜電気鉄道(現:京急電鉄)に乗り入れる構想もありました・・・・・・
ところが、
地下鉄事業がメシウマである事を知った東急の“強盗”こと五島慶太が、
『東京高速鉄道』という地下鉄会社を新設し、渋谷~新橋間に路線を建設。
「貴社の新橋から浅草まで相互乗り入れを行いたい」と下心見え見えな話を持ちかけます。
早川がこの申し出を断ると、
早川の友人達や京浜電気鉄道が保有していた東京地下鉄道の株式を半ば強奪。
いわゆるTOBで、早川を東京地下鉄道から追い出そうとします。
早川もただやられていた訳ではなく、新橋駅の両社の境界壁を撤去させない等反抗しました。
この一連の騒動を見かねた鉄道省が仲裁に乗り出し、
「早川・五島の両氏は経営から引退する」
という喧嘩両成敗的調停案を掲示。
しかし、五島にはまだ『東急』という巨大資本が残っており、痛くも痒くもありません。
一方の早川は、自らが苦心して創設した日本初の地下鉄を手放す事に・・・・・・
失意のまま地元の山梨に帰った早川は、晩酌にハイボールを嗜みながら
「やがて、東京中に地下鉄が走り回る日が来るだろう」
と娘に語っていたそうです。
そして現代―、
早川の言は現実となり、東京の地下にはクモの巣のように地下鉄が張り巡らされているのです。
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