今更ながらポケモン映画レビュー 「ルギア爆誕」

クリスマス会で「ミュウツーの逆襲」を観た性で、ポケモン映画が観たくなってしまいました
で、観てきました
(ポケモン映画を複数本まとめ借りする社会人の図)
今回は無印2作目「ルギア爆誕」をレビューします
この映画を一言で表すなら「ミュウツーの負の遺産&カスミって何だ?」だと思う
※この映画自体は上映当時に視聴済み。このレビューは先日観直した際の感想を元に書いてあります。
※思ったことをダラダラ書いたので読み辛さMAX
(編集者:飛びイカ)
サトシ達一行は女船長のみっちゃんの船に乗せてもらい、オレンジ諸島を巡っていた。
しかし嵐に見舞われ、オレンジ諸島の海の果て「アーシア島」にたどり着く。
島は年に1度の祭りの日であり、サトシ達は島民から歓迎を受ける。
時を同じくして、世界中の珍しい物を集めているコレクターのジラルダンが自らの飛行宮を使い、炎の神であるファイヤーを捕らえる。
それを察知した雷の神サンダーと氷の神フリーザーが現れるが、
ジラルダンの真の目的は海の神「ルギア」を捕獲し、自分のコレクションに加えることであった。
(ウィキペディアより)
【感想】
[掴みの秀逸さ]
本編が始まった際に思ったのは「ポケモン映画の掴みはやっぱ最高」
古来の碑文やジラルダンの乗る飛行宮
薄暗い海の底を泳ぐルギアのシルエットの後のタイトル…
今も昔もポケモンへのワクワク感を感じられる出だしでしたね
ただこのタイトルロゴの出だしなどは平成ガメラシリーズ「ガメラ 大怪獣空中決戦」っぽいなぁ…とw
ちなみにガメラは1995年、この映画は1999年上映です
[ヒロイン:カスミ]
この映画を語る上で外せないのが「カスミ」という無印ヒロインの存在
脚本家の首藤剛志さんも吐露していますが
今作では、彼女の(サトシに対する)立ち位置を明確にする、という思惑が確かにあったなと思います
というのも、今作と前後して当時のTVシリーズでは「オレンジ諸島編」を放映しており
にわかにサトシ×カスミのカップリングの勢いを増していたように感じます
(旅の仲間であるタケシは脱落したのにカスミは付いてきた)
(サトシはオレンジ諸島編にて、カスミに好意を寄せるジムリーダーに嫉妬を覚える描写があったなど)
つまり視聴者は「サトシとカスミは好き同士なんじゃね?」っていうモヤモヤした感じの邪推を抱いて興奮していた時期なのです
僕だけかもしれませんが
そのため公式が回答するために用意したのが、今作のゲストキャラである「フルーラ」でした
彼女がサトシにキスをした事で、それ以降カスミは終始イライラしっぱなし
フルーラはその様子を察し「あなた、サトシのガールフレンドなの?」と投げかけます
この質問は当時の視聴者が最も気になっていた質問
これがフルーラというキャラは視聴者の投影であり、公式の用意した駒でもあると言える理由
しかしそれに対するカスミの返答は「私の行きたいところにたまたまサトシがいるだけ」と素っ気ないもの
単に照れ隠しだけのようにも取れますが、終盤でのフローラとの対峙にて答えがあります
カスミは言います「あいつに負けてらんない」と
カスミがサトシに抱く感情は焦燥感であり、ライバルとしての気持ち
この気持ちが第一にあり、いわゆる恋愛感情ではないとフルーラに伝えます
(ただしこの表現は大人になった今だから分かるもので、当時は「やっぱ好きなんだなー」と思ってましたw)
アニメにおいてヒロインは重要なキャラクター
ヒロインが主人公に恋愛感情を抱いているかは(観ている視聴者を含めて)大きな意味があります
映画という場を使って、しかも「ヒロインは主人公に恋していない」という
あまりプラスにならないようなことを発信したのがこの「ルギア爆誕」という作品だったのです
ただ、セリフだけを追っていけば聡い人ならその事実に辿り着けるとは思いますが、
その後のカスミがサトシを助ける場面などもあり、この事実は演出上巧妙に隠されています
特にポケモンのメインターゲットである小学生にこの事実を読み解くのは至難の業でしょう
(僕が疑ったのは映画にしてはあまりにもフルーラが突っかかってくることに違和感を感じたから)
(映画という限られた尺の中でサトシ×カスミを話題に出すってことは、何か明確な意図があるんだろうなーと考えながら観てたため)
もちろんこのミスリードにひっかかり、
当時の僕同様「やっぱ好きなんじゃん!」と考えることも公式の狙い通りだとも言えます
公式にとっては「どっちで捉えられても構わない」って考えたのでしょう
ポケモンは恋愛作品ではないのですからサトシとカスミの関係に「正解」はないのだと思います
女性の意識の根底には「自分の存在価値・地位・立場の確立がある」という分析を聞いたことがあります
そういった意味ではカスミは現実の女性と同じであり
この映画で彼女の魅力が損なわれた、ということはないと思います
〝好きでもない〟サトシを助けるために荒波打ち付ける海へ飛び込むカスミ
べ…別にサトシのことなんか好きじゃないんだからねっ////////
[重すぎる前作の影]
前作「ミュウツーの逆襲」はポケモンという子供向けコンテンツの中に「自己の存在の可否」や「生まれた意味」を問うといった
ポケモン作品全体から見ると、異端作とも呼べる代物でした
これがヒットし、第1作ということもあり、ポケモン映画のスタンダードと呼べるものになりました
つまりは「ポケモン映画はこうゆう路線で行くのか」と暗に印象付けた作品と言えます
(似たようなものに「劇場版クレヨンしんちゃん」が挙げられます)
(これも昨今は大人も子供も楽しめる感動作、という位置づけであり)
(もう今更バカ騒ぎするだけの作品には戻れないし需要もないという「縛り」の状態であると言えます)
今作はそれに続く2作目
テーマは「他者との共生」「他人の世界を壊してはいけない」など
しかしこれが弱い
前作の重い雰囲気とは違い、3鳥とルギアの戦いなどにスポットを当てたり
上記のカスミへの言及の印象が強く
ルギアの唱える「他者との共生」が付け足されたように感じてしまいました
サトシに他人の世界を尊重することの大切さを説くルギア
取って付けた感が半端ない
ルギア「ガチ勢とマイオナ勢は棲み分けが必要なのだ…」
そもそもポケモンのような子供向け作品において深いテーマを忍ばさせるのは難しいことですし
前作のヒットの影響からか、娯楽作品以上のものを視聴者も求めてしまったし、作ろうとしてしまったように感じます
しかしテーマの主張が弱く、全体的に中途半端となってしまった印象は否めません
続き物の2は面白くない、とよく言われますが、製作者側の苦悩が感じられる作品でした
まあ、あの「ミュウツーの逆襲」の後はやりづらいよね
[『ポケットモンスター』なんだから主人公はポケモン]
劇場版において浮き彫りになるのがピカチュウの種族値の低さとサトシの傍観者っぷり
今作はサンダー・ファイヤー・フリーザーの伝説3鳥とルギアの戦いが繰り広げられます
そんな中でピカチュウの足りなさや叫ぶことしかできないサトシの立ち位置は
観ている人にヤキモキとした感情を抱かせます
普通こういった娯楽作品では、主人公が世界を救う!くらいが普通なのですから
ポケモン映画の、メインは伝説ポケモン、主人公と相棒は飾り、というスタンスは珍しいと思います
こういったスタンスのため、物語序盤においてサトシは「厄介ごとに顔を突っ込む」という重要なポジションであるのに
後半はサトシの預かり知れぬ所で事件が解決してしまう印象があります
もちろん今回は3つの島から宝を回収して、フルーラが笛を吹いたことで事件は解決するのですが
劇場版のサトシには主人公特有の理不尽さ、ご都合主義的な力が足りてないと感じられます
むしろ問題の原因である3鳥とルギアの方が、物語を動かす力のある駒であると思います
これは何もこの作品だけでなく、これ以降の作品でも同じことが言え
劇場版の主人公は(名前を冠する)伝説のポケモンであり、サトシは傍観者・観測者でしかありません
(むしろ叫び・呼びかけることで主人公(ポケモン)の力を引き出すという意味で「ヒロイン」といった方が正しいかw)
しかしTVシリーズでは紛れもなくサトシはお話を動かす主人公であり、
視聴者は劇場版においても「主人公はサトシ」と勘違いしてしまいがち
この認識のズレこそが、ポケモン映画に感じるモヤモヤであり、今一つカタルシスを感じられない要員だと思います
(また、劇場版の伝説ポケモンはゲストポケモンでしかなく、全く思い入れの無いことも主人公と認識できない理由だと思います)
「劇場版の主人公はポケモン」と正しく認識してみると
今まで観てきたポケモン映画が全く違った側面を見せてくるのではないでしょうか
[実は最も大規模な問題が発生していた]
今作では海の底を流れる深層海流がカギとなっています
この深層海流は3鳥のバランスで成り立っており、ジラルダンが3鳥を捕獲したことで崩壊
世界のバランスが崩れ、未曽有の天変地異が世界規模で起こるようになりました
実はこれって無印5作品の中で一番大規模なもの
他の作品が地域ごとの問題程度で収まっているのに対し、これは世界規模の話ですからね
「ミュウツーの逆襲」:一部海域封鎖、ポケモン解放は未然に防ぐ
「ルギア爆誕」:お前の捕獲で世界がヤバイ
「結晶塔の帝王」:一部地域でクリスタル化
「時を超えた遭遇」:森林破壊
「水の都の護神」:水上都市壊滅の危機
ただ、この世界規模というのがあまりピンとこなかった印象はありました
オーキド博士のキン肉マンばりのとんでも理論も相まって、危機感が伝わりづらい
これ以降の作品で問題が各地域限定になったのは、リアルさを上げるためだったのかもしれませんね
[ロケット団…かっこいいじゃん]
この映画はロケット団が地味に活躍している珍しい作品
サトシが氷の島に向かい、氷の壁で足止めを食らった際にはホバークラフトで助け
ルギアに助けられた際には文字通り「足手まとい」であることを危惧し、自ら手を離すという男気を見せます
無印劇場版でロケット団が活躍するのは実はルギア爆誕だけ
他の映画では本当に脇役でしかないので、上記の世界規模の問題と合わせて
この映画が如何に異色を放っているか分かるかと思います
[ハマちゃんの声はいいんだけど…]
ゲストポケモンとして登場したヤドキング
声はダウンタウンの浜田雅功さんですが、ヤドキングの気だるい雰囲気とマッチした声で非常に良かったです
(ゲスト声優は人物よりもポケモンの方がいい仕事をする法則)
ただ登場シーンが唐突だったり、人語を離せるポケモンなのにサトシ達がスルーだったりと浮いてしまっている感はありました
別にヤドキングをメインに据えなくてもいいですが、ここら辺のフォローやら説明が欲しいとは思いました
[↓ここで廃人が冷静に分析]
ポケモン廃人としては3鳥の戦いで
「どうやったら睨みつけるさん(ファイヤー)が勝てるのか?」
を考え出して集中できませんでしたw
3鳥の相性としてはファイヤー>フリーザー>サンダー>ファイヤーが基本のサンダーがちょい有利の状況
何故ならフリーザーはDが高いのでフリーザーVSサンダーはフリーザー有利、ただしサンダーは他2体に弱点が付けるからです
このためファイヤーが勝つには
①フリーザーにサンダーを倒させる
②ファイヤーVSフリーザーの形に持っていく
③大文字で余裕wwww
という勝ち筋を辿る必要があります
ちなみに、映画ではまずファイヤーさんはサンダーと結託してフリーザーを倒してしまいました
「なんでや!!」
【総括】
序盤のワクワク感は半端ない
しかしその後の展開が尻すぼみであり、「あぁ、終わった…」といった感じ
主人公が活躍しない=カタルシスの解放がないのはポケモン映画の通例
主人公はルギアやったんや!(なんやて!?)
ルギアと3鳥の戦いは見ごたえがあるけど、こいつら何で戦ってるの?と考え出すとキリがない
とりあえずルギアだけ喋れるのは良くないと思いました
伝説が喋らない映画の方が面白い法則
他の見どころとしてはヒロイン:カスミにスポットを当てている点
ヒロインの立ち位置を明確にするため、カスミは非常に喋るし活躍します(ケンジは…犠牲になったのだ)
そのため、カスミファンの人には印象深い映画となっているのではないでしょうか?
ただ、ポケモンのヒロインファンは派閥が激しいので嫌カスミ派の人には良い評価はもらえてないようですw
前作の「ミュウツーの逆襲」の性でハードルが上がっちゃったな~というのが個人的な意見
普通にアニメ映画としては面白い部類ではあると思います
以上
久しぶりにアニポケを観ました
思い出補正もあるかもしれませんが、あの頃の純粋な気持ちが甦ってしまってヤバかったですね
しかし、途中で無意識のうちにサイト開いて3鳥→ルギアのダメージ計算をしてしまいました
マルスケルギア硬すぎだなぁ
この頃は心の目→零度もないからサンダーフリーザーでマヒ絡めて突破するしかないじゃん、とか考えてました
映画に集中できない系男子
今回はこの辺で
次は「結晶塔の帝王 ENTEI」をレビューすると思います
それではノシ
- 関連記事
-
- 【ポケモンBW2】レート1800安定したカバラッキー構築【※転載※】 (2013/03/11)
- 今更ながらポケモン映画レビュー 「結晶塔の帝王 ENTEI」 (2013/03/09)
- 今更ながらポケモン映画レビュー 「ルギア爆誕」 (2013/03/05)
- 【ポケモンBW2】カントーカップで想定すべきポケモンまとめ (2013/02/06)
- 2012年のポケモン記事まとめ (2012/12/29)
| ポケモン | 22:15 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑
あたりめ(08/30)
名無しのGA研究会(08/20)
16000系(03/17)
名無しのGA研究会(12/09)
名無しのGA研究会(12/09)
名無しのGA研究会(08/30)
名無し(08/01)
いっくん(03/02)
バイパー(02/28)
CHAKE(02/12)