苗字の話
今回は完全に自分の趣味で、『苗字』というものについてのお話をしたいと思います
『自分の名字のルーツってどこなんだろう』って思ったことのある人は結構いるんではないでしょうか?
5人に一人くらい。いや10人に一人くらい?50人に一人は確実にいるだろう
そんな人に少しでも役立てばいいと思うよ
興味ねぇよという人はブラウザバック!たぶん時間のムダだよ!
最初にカテゴリを何にしようか少し迷いましたが、ノンジャンル考察系に(カテゴリでは約1年ぶり)
それと、今回、文字しかありません。
私がなぜに『苗字』を研究しているかというと、小学校高学年ぐらいから『漢字』が好きで、そこから難読漢字を調べていきその中に苗字があり、苗字にも興味を持ち始めたことがきっかけです。
漢字を調べていくうちに、漢検2級を一発合格できる程度にはなっていました(自慢)
自称漢字研究家も名乗っております。もっと言うと、日本語研究方言専攻(主に新潟弁・東北弁)も担っております。
そんな前置きはいいとして、
ほんだい
先ず苗字とはなんなのか
1.苗字とは
苗字とはまぁ言われなくてもわかるとは思いますが、姓名の姓、氏名の氏のほうです
姓は「かばね」とも読みます
かばねはヤマト王権時、王権との関係・地位を示すために使われたらしいです。
まぁそれからいろいろあって、明治の『平民苗字許可令』と『平民苗字必称義務令』を経て、いまの苗字になりました。明治までは平民には苗字がなかったと思われがちですが、名字はあったみたいですよ。詳しいことは自分で調べようね!
そんな名字ですが、日本には約10数万種の苗字があるといわれています。
正確な数は分かっていません。
旧字体や簡体字(サイトウの斎、齋など)を同分けて数えたり、読みの違うもの(大谷をオオヤかオオタニで読むか)を別カウントすることで数が前後するので、30万種以上とも言われています
政府が国勢調査のついでに調べてくれればいいんですがね
因みに、イタリアでは35万種。アメリカ150万種(サラダボールのため)。お近くの国韓国では250種といわれています
また、織田信長や、徳川家康、上杉謙信といった武将の苗字は、現在の我々が使う意味での苗字ではありません
本姓というのがあり、正式な時には本姓を使います。織田は平氏(藤原氏や忌部氏とも)、徳川は藤原氏または源氏、上杉は藤原氏である。謙信は上杉家の家督を継いだ長尾家の者です。長尾の本姓は桓武平氏。
このように、貴族や士族の多くは、『源平藤橘』の何れかのことが多い
それでは、織田、徳川、上杉は何かというと、その家系が治めた土地の名前だったりするのです。
織田は越前国織田荘、徳川は上野国新田荘得川郷(現在の太田市新田。徳川発祥の地の碑があります)、上杉は丹波国上杉荘といった具合に
群馬の英雄新田義貞の新田氏は、新田荘を荘園として治めていたことから新田を名乗りました。本姓は源氏です
つまり、本姓は〇〇で、苗字がどこどこの人ってことなんですよね
なんか歴史の話になりましたが、歴史はそんなに詳しくないのでここらへんに。
あと諱(いみな)とか字(あざ)、号とかあるけどめんどいから省きます。各々が調べてくだしい
2.苗字のルーツ
先ず、自身の苗字がどこから生まれたかご存知ですか?
「俺の先祖は侍で…」という方もおられますが、そんなもんは少数です。貴族や武士に由来しているものは1割以下です。もともと数が少ないのだから仕方がないですね。
それでは、平民の方々はどこから取ったかというと、これは自分の意見ですが、大体が地形からだと思われます。田んぼの真ん中に家があったから『田中』。山のふもとにいたから『山本』。のように、自分がどのようなところに住んでいたかを苗字に表したものが大半だと思われます。自分の住む土地名を苗字にした場合もありますが、それも少数だと思われます。
ほかに、服部や矢作などの職業姓、越後屋、紀伊国屋などの屋号から苗字にしたものなどがあります。
屋号とは、いわば肩書き・あだ名です。昔は集落で同じ苗字の人が固まってましたから、苗字で呼んでも判別がつきません。なので屋号で呼び合いました。職業(車、紙屋)や家の位置(北、下シモ)、家主の名前などなど。
私の実家の集落では、いまだに屋号で呼び合っています。20~30軒程しかありませんが、小林、服部、千原がほとんどです。区別がつかないので屋号で呼びます。私の苗字は渡邉ですが、屋号は『弥五右衛門(やごうえもん)』です。郷土史によると、集落を開拓した人らしいです。集落内に『三九郎』という屋号のお宅があります(呼ぶときは、サンクロドン)。その近所にサンクロドンの分家があります。そこは、分家という意味のイモチ(家持からか)をつけ、サンクロイモヂと呼びます。このように、本家と分家という風に屋号をつける場合もあります。
みなさんの住むところでは『屋号』はありますか?
ここから世帯数の多い苗字上位5位を紹介したいと思います
5位から発表します
第5位 【渡辺】ワタナベ、ワタベ等 27万世帯
私のワタナベとは違います、簡単な方のワタナベです。ですが、ルーツは同じです。
渡部、渡邊も一緒です。渡し場に由来します
平安時代後期、嵯峨源氏の源綱(みなもとのつな)が摂津国渡辺に移り住み、地名を取って渡辺綱と名乗ったことからなります。
歴史詳しい人だと分かると思いますが、渡辺綱は鬼退治としても有名です。そこから、鬼は渡辺を見ると逃げ出すので、渡辺姓は節分の豆まきをしなくていいといわれています。実際私は家で豆まきしたことがありません。
のちに、渡辺綱は渡辺党という水軍を結成し、渡辺姓が全国に広がります。
渡辺という地名は、現在も大阪市中央区九太郎町四丁目渡辺や、渡辺橋という橋として残っています。
第4位 【田中】タナカ、デンチュウ等 33万世帯
農耕民族の象徴 田中姓
田中という士族もいたようですが、明治の苗字の令によって、多くの平民が「田んぼン中にいるっけ『田中』でいいべ」という考えに至り、多くの田中氏が生まれたそうな
恐るべし農耕民族
なので、語ることも多くない…悪しからず
ここからトップ3
第3位 【高橋】タカハシ等 35万世帯
高橋のルーツはいくつかあるらしく、
1.大蔵春実という貴族の子孫が筑後国高橋に移住したことから始まる、筑後高橋氏
2.駿河国高橋を治めた士族から始まる、石見高橋氏
3.磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)という料理の祖の子孫が、宮中の内膳司(いわば炊事係)を務めた際に高橋と名乗った
4.神道からくるもの。丸太橋を立て、天地を繋ぐ高い柱(はし)とし、神の降臨を願う。そこは聖域となり神主の居場所になる。このことから、その宮司は高橋と呼ばれるようになった。
私が依然読んだ本では4番が書かれていました。さすが八百万の神の国といったところ
第2位 【鈴木】スズキ等 42万世帯
鈴といえばやっぱり神道。鈴木姓も神官、宮司としての職業姓のようです
もともとは、農業に関係する言葉でした
田んぼの真ん中に稲を積んで棒を立て、そこに神が宿るとされ、これをススキと呼んだ。また、稲を積んでいるさまは穂積とも呼ばれた。このことから、熊野大社の神官であった穂積氏はススキとも呼ばれたため、鈴木を名乗った。その後、鈴木氏は布教のため全国に広がり、熊野神社を建立した。それに伴い鈴木氏も全国に広まった。中でも三河の鈴木氏は士族となり、徳川に仕えた。徳川が、江戸で幕府を開くと鈴木もそちらへ移住する。そこでも勢力拡大。こうして日本に鈴木姓が広まったそうな
鈴木は静岡、愛知と関東圏に多いです。
第1位 【佐藤】サトウ、サドウ等 47万世帯
恐るべし藤原の力!
佐藤氏は藤原秀郷の子孫公清が、左衛門尉(さえもんのじょう)に就き、左衛門尉の藤原で左藤(佐藤)と名乗ったことから始まる。この子孫が、出羽に移住し繁栄したため、東北に佐藤姓が多い。
他にも、佐渡国の藤原、豊後国佐伯の藤原、下野国佐野の藤原など諸説ある。
因みに、『〇藤(トウ)』姓は藤原氏からの派生が多い。地名or職名+藤原
工藤は木工助(宮中の土建屋のお偉いさん)の藤原でおまんがな
伊藤は伊勢国の藤原。または伊豆国の工藤
斎藤は斎宮頭(斎宮寮(伊勢神宮におられる皇女のお世話などをする機関)のトップ)の藤原
加藤は加賀国の藤原
近藤は近江国の藤原
江藤、遠藤、武藤、内藤、新藤などなど藤原氏からの支流はまだあります。
ここまで読んで疲れたと思います
というか、書いてる私が疲れました
なので、まだまだいっぱい書きたいことがあるのですが、
それは別の記事で書きたいと思います
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