群馬大学GA研究会 なんでもにっき

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文禄・慶長の役。

こんにちは。
懲りずにやってまいりました。きしめんです。


今回は、純粋に軍事について語りたいと思います。(^-^)

お題は上にあるように文禄・慶長の役です。


正直、いくら歴史オタクとは言えこのオタク系サークルの

ブログで自分の今回の議題は少しういてますね。


まず、語りだす上で、最低限の補足説明をすると、

文禄・慶長の役とは、日本史でも、おなじみの秀吉が朝鮮に出兵し、

1592年から、1598年まで、朝鮮半島の各地で繰り広げられた日本の対外戦争の一つです。

この戦いで日本軍は朝鮮・明側の激しい抵抗にあって、敗退。

長年にわたる戦いは親豊臣側の大名の疲弊、豊臣政権自体の衰退、政権内部の不協和音などを引き起こしました。


そして、この戦いは日本史の教科書ではせいぜい1ぺージあるか無いかの扱いで余り重要視されてません。

しかし、この戦いは東アジア軍事史あるいは世界レベルでみても

すさまじく重要な戦いでそれまでの中世の戦いとは一線を画しています。


その理由としてはまず、使われた火砲の数です。

当時、日本は世界一位の鉄砲大国でその数は五〇万丁を超え、これは当時ヨーロッパ全体の保有量を

上回っていました。さらに当時秀吉が動員できる兵力は石高制を基に考えると38万人であり、

文禄の役で20万人が朝鮮にいった事を考え、さらに当時の日本軍の鉄砲保有率を考えると約2~3万丁の火縄銃が

半島で使われました。はっきし言って長篠の戦いどころの話ではありません。

しかし、日本では何故か大砲は重視されずとてもお粗末な状況でした。

一方、朝鮮では、李氏朝鮮王朝2代国王の太宗の時代から火薬兵器の発達が始まり、

秀吉の時代にはかなりの水準の大砲となって活躍していました。(主に倭寇対策)

また、当時の朝鮮の名提督李舜臣は、イングランドの提督キャプテン・ドレイクがスペイン無敵艦隊撃滅のために

考案した、火砲によって敵艦隊を叩き潰す戦術を李舜臣も独自に編み出しており、戦術教義の点でも日本軍を圧倒しており

ました。

しかし、儒教国家で統制貿易をしている李氏朝鮮は南蛮人との付き合いが薄く、

秀吉の日本軍が来るまで火縄銃の事を知らない状況であったのです。

結局、これらの要因が文禄・朝鮮の役における陸での日本軍優位・海での朝鮮優位につながりました。

また、火砲以外にこの戦争のすごい所は民間人の死傷者数です。

兵士が両軍合わせて20万くらいしか死んでないのに対し、民間人(ほぼ朝鮮人)は



全羅道・慶尚道を中心に一説によれば200万ちかくが死亡しました


これはすさまじい数です。

正直きしめんもこの事実を知った時には戦慄しました。

ちなみに、そのように言える根拠は朝鮮の戸籍です。

戦国の世で荒れ放題の日本と違い、中国式の中央集権的な律令国家の側面をもつ朝鮮では、

戸籍によって人民が国に把握されていました。

その戸籍によると、戦前1030万近くいた人口は


戦後の調査では750万人近くにまで減っています。


なぜ、こんな東アジア史上でも類を見ない大虐殺が起きたか?

それは、当時の戦国大名の体質と戦況、朝鮮人官僚達の冷酷さが関係あります。

まず、当時の戦国大名とはある種の地方領主のようなものです。

あくまでも近代的な軍ではなく、一族運営の武装組織です。(戦国時代好きな人すいません。)

しかも、軍の構成員の大半は農民で1年内に戦える日数は限られており、

それ以上戦うなら、補給なしか赤字覚悟で戦う必要がありました。

なので、補給という概念は余り無く、貯えが無くなれば、現地調達でしのいでいました。

戦国大名軍の脆弱さは上杉謙信の小田原城包囲の失敗がそのことをよく物語っています。

そのため、李舜臣の活躍によって日本軍の制海権が奪われ、

補給が途絶えると日本軍は朝鮮の各地で

略奪を開始。

戦費調達のための朝鮮政府の過酷な徴税、日本軍による略奪、明軍の略奪。

必然的に可哀そうな、朝鮮人は深刻な飢えにさいなまれます。その結果、大量の餓死者が発生。

特に全羅道は秀吉の命令で徹底的に組織的に破壊されました。

もしかすると、よく教科書で紹介される朝鮮の義兵というのは悪まで想像ですが

愛国心だけではなく、こうした飢えた朝鮮民衆の自衛行為なのかもしれません。

なぜなら、朝鮮王朝実録の中に義兵が朝鮮軍に襲いかったという様な記述があるからです。

生き残るために、必要な食料を奪うのは日本軍だけではなく、朝鮮の役人達にも同じですから。

そして、このような民衆の大量死は近世の戦争では、よくあることなのです。


例としては、ドイツの30年戦争など。数十万人の人々が餓死。

その後、朝鮮はドイツと同じように戦争の被害で、国家体制が崩壊寸前になります。

また、明は衰退し、戦争の後方基地となった満州は発展し清王朝誕生の素地が出来ていきます。

まとめ。
日本史だと大した事のない文禄・慶長の役は後のドイツ30年戦争のような

近世的要素を含めた東アジアの大戦争なのです。しかも、同時に複数の国が関わり国際戦争でもある。

しかも、その規模も世界有数の軍事大国の戦国日本と超大国明との戦いなので

桁違いでした。正直、同時期のヨーロッパの戦争を比べて見ると

可愛く思えるほどです。


ちなみに韓国では豊臣秀吉は伊藤博文に次ぐ、嫌われようです。

そして、その嫌いな豊臣氏を倒した徳川家康が韓国で人気の日本人なのです。

後書き。

ここまで読んでいただきありがとうがざいます。また、今回も出来は良くないです。

まあ、歴史オタの自分としては少し満足しています。














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| ミリタリー・歴史 | 22:58 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

理系が多いからなー
文系が当たり前と思っている歴史上の出来事も、理系にとっては( ゚д゚)ハァ?なんてことは当たり前。

理系の気持ちを考えてみろー

| zaitaku | 2010/07/08 08:18 | URL |

失礼しました。
暴走しすぎました。

| きしめん | 2010/07/08 20:26 | URL |

30年戦争も数百万単位で死んでるでしょ

| 名無しのGA研究会 | 2012/01/19 04:11 | URL |















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