てつどう!!
ククク…、チャケだぜ…
またおれっちの趣味についてgdgd語るからそのつもりで…
またおれっちの趣味についてgdgd語るからそのつもりで…
今回は…、関東大手私鉄の創業者(有名人)について書いてみることとする・・・・・・
まず何だかんだで一番好きな東武鉄道を取り上げよう。
東武鉄道は1897(明治30)年に設立された訳だが、10年も経たない内に危機的な経営不振の状態にあった。
そこで1905(明治38)年、外部から“ボロ買いちろう”こと初代根津嘉一郎氏を社長に迎えたのであった・・・。
「ボロ買いちろう」とは、根津氏が度々経営不振に陥った企業を買収していたことを揶揄したアダ名で、他にも“火中の栗を拾う男”とも呼ばれたそうな。
しかしそんなアダ名など何処吹く風。根津氏は後に「鉄道王」とまで呼ばれる手腕を存分に発揮し、東武鉄道を見事に建て直したのである。
また、氏は人格者としても知られ、「社会から得た利益は社会に還元する義務がある」を合い言葉に様々な事業を行ったのである。
・・・・・・と、ここまでなら只の偉人伝なのだが、残りの二人はそうもいかなそうだ(汗
続いては西武鉄道のターン。
この会社を語る上で欠かせないのは、堤一族-すなわち堤康次郎・堤義明親子の存在だろう。
まず堤康次郎についてだが、この人物に関してはクソな凄まじい経歴があり過ぎて語り切れないというのが本音だ。
早稲田大学の政治経済学部に入学しておきながら、登校するのは試験の時ぐらいで、普段はバイトに精を出すというぶん殴りたくなるような破天荒な学生生活などまだ可愛い方。
郵便・鉄工・雑誌・真珠と次々に事業を興しいずれも失敗するが、諦めの悪い心の折れない強い一面を見せる。ちなみに彼の生活信条は「感謝と奉仕」らしい(マジで意味不)。
後に何となくで西武グループを設立するが、その強引な土地取得で一躍大ブーイングを世間の脚光を浴びる。一説には、関東大震災時に焼け跡となった土地に勝手に自分の所有地であると立て札を掲げ、裁判沙汰になったらなったでお抱え弁護士に助けてもらう・・・というもの凄いことをやったとか。
たまにこの詐欺紛い強引な土地取得に怒った地主などが日本刀をひっさげて堤邸に乗り込んでくることがあったのだが、堤氏は銃で応戦(!!)。この逸話から“ピストル堤”と呼ばれるようになった。
さて、こんなアホ凄い人の息子である堤義明も経営者として「まとも」とは呼べない人物だった・・・。
彼も武勇伝逸話には事欠かない人物だが、そんなにダラダラ書いてると流石に読む気も失せにけりだと思うから、彼最大の功績及び名言を発表して場を閉じよう!
ズバリ、彼最大の功績とは「有価証券の虚偽記載による西武鉄道株の上場廃止(それによる自身のタイーホ)」、名言とは「土日位きちんと休ませろという諸君はうちの会社にはいりません。」でした♪
最後に東急電鉄。
今や関東一の「セレブ鉄道」のこの会社を立ち上げたのは、五島慶太という男であった。
五島氏は堤氏ほど波瀾万丈(w)な人生を歩んだ訳では無いが、とある経緯でその名を知られている。
1922(大正11)年、五島氏は後の東急電鉄となる「目黒蒲田電鉄」を設立。一時は自殺を考えるほど経営が悪化したが、持ち前の経営手腕で見事乗り切り、基盤を確固たるものとする。
し・か・し、そんな彼にも困った癖が・・・。それは「企業買収」・・・。
こう言えばそんなに悪いイメージはしないが、彼の行うそれは「買収」と言うか「乗っ取り」に近いものだった。
実際、五島は戦時中を良いことに京浜電気鉄道(現:京急電鉄)・小田急電鉄・京王電気軌道(現:京王電鉄)・相模鉄道を自社に取り込み、いわゆる「大東急」を造り上げた。その強引っぷりから、“強盗慶太”の異名を取る。
ちなみに彼は↑の西武・堤康次郎との間に深い因縁があり、具体的には箱根の観光事業を巡って「箱根山戦争」を繰り広げたことで有名である。
以上だお。失礼するを。
まず
東武鉄道は1897(明治30)年に設立された訳だが、10年も経たない内に危機的な経営不振の状態にあった。
そこで1905(明治38)年、外部から“ボロ買いちろう”こと初代根津嘉一郎氏を社長に迎えたのであった・・・。
「ボロ買いちろう」とは、根津氏が度々経営不振に陥った企業を買収していたことを揶揄したアダ名で、他にも“火中の栗を拾う男”とも呼ばれたそうな。
しかしそんなアダ名など何処吹く風。根津氏は後に「鉄道王」とまで呼ばれる手腕を存分に発揮し、東武鉄道を見事に建て直したのである。
また、氏は人格者としても知られ、「社会から得た利益は社会に還元する義務がある」を合い言葉に様々な事業を行ったのである。
・・・・・・と、ここまでなら只の偉人伝なのだが、残りの二人はそうもいかなそうだ(汗
続いては西武鉄道のターン。
この会社を語る上で欠かせないのは、堤一族-すなわち堤康次郎・堤義明親子の存在だろう。
まず堤康次郎についてだが、この人物に関しては
早稲田大学の政治経済学部に入学しておきながら、登校するのは試験の時ぐらいで、普段はバイトに精を出すという
郵便・鉄工・雑誌・真珠と次々に事業を興しいずれも失敗するが、
後に
たまにこの
さて、こんな
彼も
ズバリ、彼最大の功績とは「有価証券の虚偽記載による西武鉄道株の上場廃止(それによる自身のタイーホ)」、名言とは「土日位きちんと休ませろという諸君はうちの会社にはいりません。」でした♪
最後に東急電鉄。
今や関東一の「セレブ鉄道」のこの会社を立ち上げたのは、五島慶太という男であった。
五島氏は堤氏ほど波瀾万丈(w)な人生を歩んだ訳では無いが、とある経緯でその名を知られている。
1922(大正11)年、五島氏は後の東急電鉄となる「目黒蒲田電鉄」を設立。一時は自殺を考えるほど経営が悪化したが、持ち前の経営手腕で見事乗り切り、基盤を確固たるものとする。
し・か・し、そんな彼にも困った癖が・・・。それは「企業買収」・・・。
こう言えばそんなに悪いイメージはしないが、彼の行うそれは「買収」と言うか「乗っ取り」に近いものだった。
実際、五島は戦時中を良いことに京浜電気鉄道(現:京急電鉄)・小田急電鉄・京王電気軌道(現:京王電鉄)・相模鉄道を自社に取り込み、いわゆる「大東急」を造り上げた。その強引っぷりから、“強盗慶太”の異名を取る。
ちなみに彼は↑の西武・堤康次郎との間に深い因縁があり、具体的には箱根の観光事業を巡って「箱根山戦争」を繰り広げたことで有名である。
以上だお。失礼するを。
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