アポロ計画を振り返る Vol.6 ~Le Voyage dans la Lune~ (END)
【前回までのあらすじ】
「アポロ13号」の事故は、薄れていた人々の関心を再び集めるキッカケとなる。
危機的状況からの奇跡とも言える帰還劇に人々は沸いた。
リベンジとばかりに「アポロ14号」は月面着陸を成功させ、再び星条旗が月面に踊る。
ベトナム戦争が泥沼化の一途を辿る中、「アポロ計画」にも終焉の時が迫る・・・
今回は残る3ミッションをまとめて取り上げます。
『アポロ15号』 ・ 『アポロ16号』 ・ 『アポロ17号』 です。
ミッション内容では、いよいよ月面車が導入され「ミッションJ」へと移りました。
・ アポロ15号(1971年7月26日打ち上げ)

【ミッションの分類】 | J |
【使用ロケット】 | サターンⅤ |
【着陸地点】 | ハドリー渓谷・アペニン山脈 |
【乗組員】 | ・ デイヴ・スコット(船長) ・ アル・ウォーデン(司令船パイロット) ・ ジム・アーウィン(月着陸船パイロット) |
【コールサイン】 | ・ 司令船 : Endeavour(エンデバー) ・ 月着陸船 : Falcon(ファルコン) |
【ミッションの目的】 | ・ 月面着陸及び帰還 ・ 月面における科学探査 ・ 月面車の初使用 ・ 支援船搭載の科学実験モジュールの初使用 |
15号は当初、13号 ・ 14号と同じく「ミッションH」となる予定でしたが、13号の生還後NASAは予定を変更。
当初予定の15号及び19号ミッションを中止し、15号は初の「ミッションJ」フライトを行う事になりました。
この「ミッションJ」においては、月に行って帰って来る事は当然。
その代わり今までのフライトに比べ、より科学探査に重点を置く事を主眼としていました。

15号クルーの3名。 彼らは12号においてバックアップ・クルーを務めていました。
左からデイヴ・スコット、アル・ウォーデン、ジム・アーウィン。
スコットは「ジェミニ8号」、「アポロ9号」に登場経験のあるベテラン。
彼とアーウィンは、カリフォルニア工科大学のシルバー教授から地質学についての知識を叩き込まれました。
ウォーデンは今回が初飛行。
彼は飛行機であちらこちらを飛行し、月周回軌道上で司令船から月がどう見えるかを想定した訓練を受けました。
アーウィンも今回が初飛行。
帰還後彼はキリスト教の伝道師となり、ノアの方舟捜索に全力を注ぎました。
「ミッションJ」に対応させるためサターンⅤにも若干手が加えられ、
●より南寄りの方角(方位角80~100度)へ打ち上げ
●地球周回軌道は高度166kmまで引き下げ
●上記2点の変更で従来より打ち上げ能力が500kg増加
●第1段(S-IC)の逆推進ロケットの数を半減(8基→4基)
●第1段のF-1エンジン5基の燃焼時間延長
●第2段(S-II)にポゴ(共振)を抑える機構を追加
これら改良により、より柔軟性に富んだミッションを行えるようになりました。

しかし15号も「ミッションJ」の第一陣という事もあってか、まぁまぁな数のトラブルに見舞われます。
①第1段切り離し時に第1段と第2段が想定以上に接近
先述した第1段の逆推進ロケット基数を削減した事が災いし、
尚且つ4基の内1基が正常動作をしなかった事、F-Iエンジンの推力減衰が遅かった事等もありこのような事に。
今回は取り敢えず大事には至りませんでしたが、これ以降の打ち上げでは逆推進ロケット基数は元に戻されました。
②支援船のSPSエンジンにショートが発生
③月着陸船内テープメータのガラスカバーが破損
④司令船から少量の水漏れを確認
⑤帰還時にパラシュートが1基開かず
他にもこれだけの小さなトラブルが。
ってか、トラブル発生箇所が「ミッションJ」になって新規導入された月面車とかじゃないってのが・・・・・・w

15号は月面で3回の船外活動(EVA)を行いました。
活動時間の合計は18時間35分で、27.9kmを走破し、76.8kgのサンプルを採取しました。
アポロ月面実験パッケージ(ALSEP)の設置や、ハドリー渓谷 ・ アペニン山脈周辺の地質学的調査、
月面にドリルで穴を開ける作業に散々苦労し、「ジェネシス・ロック(創世記の石)」と呼ばれる貴重な灰長石を発見したりもしました。
また最後の船外活動が終了した後スコットはテレビ中継を行い、
ハンマーと隼の羽毛を落とし、 空気の無い月面ではこれらが同時に着地する事を実証しました。

15号から新たに導入されたハードウェアが2つあります。
まずは支援船に搭載された「SIM(Scientific Instrumentation Module) Bay」。
一見13号の損傷した支援船のようにも見えるパネルの無い部分に科学実験装置モジュールが搭載されており、
質量分析器やガンマ線分光計の他、高解像度カメラ等を搭載。
また、観測用の小型人工衛星の放出もこの部分から行いました。

もう一つは「Lunar Roving Vehicle(LRV)」こと月面車。
全長3m ・ 4輪バッテリー駆動車で、太陽電池を搭載してはいるものの充電機能は持ち合わせていません。
ボーイング社によって製造され、乗員は最大2名が搭乗出来ます。
15号以降、16号、17号と3回のミッションにおいて使用され、月面での移動や採取したサンプルの運搬に重宝されました。

ちなみに、月面車の搭載 ・ 展開方法はこの図の通りです。
折り畳まれた状態で月着陸船降下段に固定されている訳ですね。
・ アポロ16号(1972年4月16日打ち上げ)

【ミッションの分類】 | J |
【使用ロケット】 | サターンⅤ |
【着陸地点】 | デカルト高地 |
【乗組員】 | ・ ジョン・ヤング(船長) ・ ケン・マッティングリー(司令船パイロット) ・ チャーリー・デューク(月着陸船パイロット) |
【コールサイン】 | ・ 司令船 : Casper(キャスパー) ・ 月着陸船 : Orion(オライオン) |
【ミッションの目的】 | ・ 月面着陸及び帰還 ・ 月面における科学探査 ・ 月の高地の初探査 ・ SIM Bayを用いた各種実験 |
15号に続く「ミッションJ」2回目。
またこのミッションにおいて面白いのは乗組員で、
司令船パイロットのケン・マッティングリーと月着陸船パイロットのチャーリー・デュークは、共に13号に関係のある人物です。
前回にも書きましたが、13号では当初司令船パイロットだったマッティングリーが、
バックアップクルーだったデュークの風疹のせいでメンバー交代となったのでした。

そんな浅からぬ因縁(?)を抱えた16号乗組員が彼ら。
左からケン・マッティングリー、ジョン・ヤング、チャーリー・デューク。
ヤングは「ジェミニ3号」、「ジェミニ10号」、「アポロ10号」に搭乗したベテラン。
実はこの後スペースシャトルの初飛行も彼が担当し、異なる3つの計画に参加した2人の内の1人となります。
マッティングリーはこれが初飛行。
ジョンと同じく、「アポロ計画」後はスペースシャトルに2度乗りました。
デュークもこれが初飛行。
月面歩行者全12人の内、最も若い当時36歳でした。
14号に引き続いてドッキングリングに不調が見つかり、打ち上げが当初予定の3月17日から1ヶ月遅れました。
この他にも16号は、15号同様に結構なトラブルに見舞われる事に・・・

数あるトラブルの中でも最もヤバかったのは、月軌道上における支援船主推進系のヨー方向ジンバルサーボの不調発生。
この不調のためSPSエンジンの燃焼が正常に行えない可能性が生じ、
月面着陸を中止するかどうかまで話は進みますが、結果的にそこまでのリスクではないと判断され、着陸は挙行されました。
しかし念のためミッション日数を1日減らし、司令船及び支援船の安全に配慮する形となりました。

16号も3度に渡って船外活動(EVA)が行われ、
ヤングとデュークは合計20時間14分の活動で、27kmを走破し、94.7kgのサンプルを採取しました。
16号の着陸前、デカルト高地周辺は月の火山活動によって形成されたと考えられていましたが、
探査の結果「角礫岩」を多く採集した事から、火山活動ではなく隕石の衝突により地形形成が行われた事が明らかとなりました。
また16号では、計画中最大となる重さ11kgの「Big Muley」という岩石の採集にも成功しています。

16号でも月面車が持ち込まれ、移動に輸送に大活躍しました。
ちなみにこの際月面車の性能テストが行われ、最高速18km/hを記録。
『月面での車輪を持つ乗り物が出した最高速度記録』 としてギネスブックにも記録されています。
・ アポロ17号(1972年12月7日打ち上げ)

【ミッションの分類】 | J |
【使用ロケット】 | サターンⅤ |
【着陸地点】 | タウルス・リトロー |
【乗組員】 | ・ ジーン・サーナン(船長) ・ ロン・エヴァンス(司令船パイロット) ・ ハリソン・シュミット(月着陸船パイロット) |
【コールサイン】 | ・ 司令船 : America(アメリカ) ・ 月着陸船 : Challenger(チャレンジャー) |
【ミッションの目的】 | ・ 月面着陸及び帰還 ・ 月面における科学探査 ・ 初の科学者による月面探査 ・ SIM Bayを用いた各種実験 |
6度目となる月面着陸ミッションで、「アポロ計画」最後のミッションでもあります。
当初は「アポロ20号」までが予定されていましたが、予算の関係上キャンセル。
製造されながら使われなかった各機材は、全米各地の博物館等に展示されています。
現在までに人類が別の天体に足を踏み入れた最後の例となっています。

最後のアポロを飾る3名。
左からロン・エヴァンス、ハリソン・シュミット、ジーン・サーナン。
サーナンは「ジェミニ9-A号」、「アポロ10号」で飛行経験があります。
ニール・アームストロングと同じ大学(パデュー大学)の出身者です。
エヴァンスはこれが初飛行。
彼の船内宇宙服は、現在財団法人日本宇宙フォーラムが保有しています。
シュミットもこれが初飛行。
当初は18号に搭乗する予定だったものの、キャンセルされた事から17号に繰り上げられて月へと向かいました。
打ち上げシーケンサーの不調で、予定から2時間40分遅れて17号は打ち上げられました。
これは「アポロ計画」史上最初で最後の夜間打ち上げでした。

17号も3度目の「ミッションJ」として、長時間にわたる月面探索を行いました。
やはり3度の船外活動(EVA)を実施し、110.5kgものサンプル採取に成功しました。
これは全6回の月面着陸ミッション中最大となるサンプル重量で、
17号はこの他にも、今までの飛行における記録を多数破っています。
具体的には、
●有人月面着陸飛行最長記録
●月面船外活動最長記録
●月軌道滞在最長記録
これらを塗り替えています。

17号の月着陸船パイロットであるシュミットは、月に降り立った最初の科学者でした。
彼のような地質学者を月へ送るのは全米科学界の悲願で、
彼が18号から17号に滑り込めたのも、科学界からNASAに圧力がかかったためだと言われています。
彼が月面で採取した「Troctolite 76535」という岩石サンプルは、 『月から持ち帰られた最も興味深いサンプル』 と呼ばれ、
月がかつて、強力な磁場を持っていた事の中心的な証拠ともなりました。

17号では、月着陸船上昇段が月から離陸していく様子が初めて撮影されました。
これは月面に残された月面車のカメラを地上のスタッフが遠隔操作する事で行われ、
15号 ・ 16号でも実施されたものの、双方とも失敗していました。
失敗の原因は、地球から発信した電波が月面に到達するまでに生じる約1.3秒のタイムラグ。
17号では神業的タイミングでカメラが操作され、画面の中央に上昇していく着陸船が映る完璧な画が撮れました。
―― こうして、「アポロ計画」は幕を下ろしました。
ケネディ大統領の掲げた、 『1960年代が終わるまでに人間を月に送り込む』 という公約は果たされ、
合わせて12人ものアメリカ人が月面を歩いたのです。
月へ人間を送るという超空想的な「アポロ計画」を終了へと導いたのは、予算という超現実的な要因でした。
しかし同時期に発生していた「ベトナム戦争」に比べれば、
余程に有意義な “無駄遣い” であった事は、言うに及びません。
最後に、有名なケネディ大統領が1962年にテキサス州のライス大学にて行った、
所謂 『We Choose to Go to the Moon.』 演説を借りる形で、この記事を締め括ろうと思います。
〈Apollo 17〉
歴史は、今日のアメリカの挑戦が人類の未来を築き上げた事を記録するだろう
― Eugene A. Cernan
William Bradford, speaking in 1630 of the founding of the Plymouth Bay Colony, said that all great and honorable actions are accompanied with great difficulties, and both must be enterprised and overcome with answerable courage.
(ウィリアム・ブラッドフォードは、1630年のプリマス植民地港の創設に当たって、 “全ての偉大な、そして誇り高い業績は巨大な困難を伴って成し遂げられたものであり、そしてそれらの業績は勇気を以て着手され、克服されたものである” と述べました)
〈Apollo 16〉
おお、我が愛しのデカルト高地よ
アポロ16号が未知と神秘に満ちたお前を解き明かす事になるだろう
― John W. Young
If this capsule history of our progress teaches us anything, it is that man, in his quest for knowledge and progress, is determined and cannot be deterred.
(もし、この進化の歴史から私達が何か教訓を得るとすれば、人間は、自身の知識と進歩への探求において宿命付けられた存在であって、これを阻止出来ないのだという事でしょう)
〈Apollo 15〉
人間は冒険しなくてはならない、そしてこれは人類史上最大の冒険である
― David R. Scott
The exploration of space will go ahead, whether we join in it or not, and it is one of the great adventures of all time, and no nation which expects to be the leader of other nations can expect to stay behind in this race for space.
(宇宙開発は我が国が参加するしないに関わらず、自ずと前進していく事でしょう。 それは全ての時代を通して、最も偉大な冒険の一つなのですから。 しかし、我が国こそがこのレースを先導するのです)
〈Apollo 14〉
長い道のりだったが、今我々はここに居る
― Alan B. Shepard, Jr.
For the eyes of the world now look into space, to the moon and to the planets beyond, and we have vowed that we shall not see it governed by a hostile flag of conquest, but by a banner of freedom and peace.
(今、世界の注目は宇宙へと向けられています。 月・・・そして更に遠くの星へと。 だからこそ、私達は宇宙が敵陣営による征服の旗によって支配されるのではなく、自由と平和の旗印の下にあるべきであると宣言したのです)
〈Apollo 13〉
どうだ、死神を振り切ってやったぞ!
― James A. Lovell, Jr.
In short, our leadership in science and industry, our hopes for peace and security, our obligations to ourselves as well as others, all require us to make this effort, to solve these mysteries, to solve them for the good of all men, and to become the world's leading space-faring nation.
(要するに、我が国の科学と産業におけるリーダーシップ、平和と安全への願い、他国に対してのみならず私達自身への責務、使命感・・・これら全てが、我が国がこの取り組みを成功させるため、宇宙の神秘を解明するため、その解明が全人類にとって有益なものとなるように、そして我が国が宇宙開発の分野で世界の牽引国となるために必要なのです)
〈Apollo 12〉
ヤッホー! 二ールにゃ小さい一歩だったろうが、俺にはデカい一歩だぜ!
― Charles “Pete” Conrad, Jr.
There is no strife, no prejudice, no national conflict in outer space as yet. Its hazards are hostile to us all. Its conquest deserves the best of all mankind, and its opportunity for peaceful cooperation many never come again.
(今までの所、宇宙においては反目も、敵対感情も、国家間の紛争さえも存在していません。 本来そのような危険要素は全人類にとって敵視すべき事なのです。 宇宙を征す事は全人類のためともなり、そしてそのような多数の人々による平和のための共同事業の機会は二度とやって来ません)
〈Apollo 11〉
一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大いなる飛躍だ
― Neil A. Armstrong
We choose to go to the moon. We choose to go to the moon in this decade and do the other things, not because they are easy, but because they are hard, because that goal will serve to organize and measure the best of our energies and skills, because that challenge is one that we are willing to accept, one we are unwilling to postpone, and one which we intend to win, and the others, too.
(私達は月へ行きます。 私達は今後10年の間に月へ到達し、そして更なる次の取り組みを行う事を選びました。 そしてそれは、この目標が容易だからではなく困難だからであり、その目標が私達の熱意と技術の最高値を、組織し測る事に資するであろうからであり、その挑戦が私達が喜んで受け入れ、後回しにする事を善しとせず、そして私達にその目標と、その達成に付随する他の成果を獲得したいと思わせるような挑戦であるからなのです)
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