アポロ計画を振り返る Vol.3 ~再びの有人飛行、最終リハーサル~
【前回までのあらすじ】
初の人工衛星打ち上げ ・ 有人飛行を共にソ連に先を越され顔真っ赤のアメリカは「アポロ計画」を始動。
これは1960年代の終わりまでに月に有人飛行を行い、着陸して帰って来るという凄まじい物だった。
アメリカはドイツ人技術者、フォン ・ ブラウンの指揮の下着実に技術を蓄積。
尊い人命が失われた「アポロ1号」の悲劇を乗り越え、今再びの有人試験に臨もうとしていた・・・・・・
前回最後に紹介した「アポロ6号」を以て無人試験は終了。
今回は 『アポロ7号』 から 『アポロ10号』 までを扱います。
全て乗組員が実際に乗り込んでの有人での試験です。
・ アポロ7号(1968年10月11日打ち上げ)

【ミッションの分類】 | C |
【使用ロケット】 | サターンIB |
【乗組員】 | ・ ウォルター ・ シラー(船長) ・ ドン ・ エイゼル(副操縦士) ・ ウォルター ・ カニンガム(操縦士) |
【ミッションの目的】 | ・ 使用機材の信頼性の確立 ・ 「Block II」タイプの司令船の初使用 ・ 宇宙からのテレビ中継の実施 ・ 月着陸船とのドッキング運動の試験 |
「アポロ1号」の仕切り直し、アポロ計画初となる有人飛行を行ったのがこの「アポロ7号」です。
11日間に渡る地球周回軌道滞在ミッションを実施し、
サターンIB初の有人機打ち上げであり、また一度に3人が搭乗する初のミッションでした。
何から何まで初尽くしだった訳です。

乗組員達の集合写真。
左からドン ・ エイゼル、ウォルター ・ シラー、ウォルター ・ カニンガム。
元々この3人は1号のバックアップ ・ クルーでした。
シラーは「マーキュリー計画」及び「ジェミニ計画」両方に携わったベテランでしたが、後の2人は今回が初飛行。

7号は1号同様、月着陸船を伴わない司令船 ・ 支援船の単独飛行なのでサターンⅤではなくサターンIBが用いられました。
各ハードウェアは問題無く動作し、支援船のSPSエンジンも完璧に機能。
サターンIBでは第2段に当たるS-IVBとのランデブー訓練も、成功裏に終わりました。
唯一予定外だったのは、乗組員達が飛行中に風邪をひいてしまった事。
この事態と、閉鎖的環境から来る精神的ストレスからか、3人とも露骨に機嫌を損ねます。
そのため地上管制官と度々口喧嘩するようになり、挙げ句の果てには規則を破り出す始末。
NASA側にモロに喧嘩を売った形の彼らは事実上 “干され” 、3人とも二度と宇宙を飛ぶ事はありませんでした。
・ アポロ8号(1968年12月21日打ち上げ)

【ミッションの分類】 | C-Prime |
【使用ロケット】 | サターンⅤ |
【乗組員】 | ・ フランク ・ ボーマン(船長) ・ ジム ・ ラベル(副操縦士) ・ ウィリアム ・ アンダース(操縦士) |
【ミッションの目的】 | ・ 月周回飛行の達成 ・ 司令船及び支援船の月軌道上での動作確認 ・ 地上の追跡装置や制御施設の試験 ・ 月面着陸時の参考用の情報収集 |
ミッション分類が突然「C-Prime」という謎の物に。
これは司令船 ・ 支援船のみで月周回飛行を行うというミッション。
●D : 司令船 ・ 支援船 ・ 月着陸船 低高度地球周回飛行及び帰還
●E : 司令船 ・ 支援船 ・ 月着陸船 遠地点7,400kmの楕円軌道飛行及び帰還
では月周回飛行の前に行われるはずの2つはどうしたのかと言うと、思いっ切りパスされました。
これには当然事情があります。
当初の8号は上記の「ミッションD」辺りを実施する事になっていました。
ところがCIAの偵察衛星がソ連のバイコヌール宇宙基地を捉えた写真が、この状況を大きく変える事となります。

そこに写っていたのは、サターンⅤ級の超大型ロケットの姿!
このロケットは名を「N-1」と言い、全長は105m、低軌道(LSO)への打ち上げ能力は95tと、
サターンⅤのそれ(全長約110m ・ 低軌道へ118tの打ち上げ能力)とほぼ同等の物でした。
勿論これら詳細なデータはソ連崩壊後に明らかになってきた物であり、当時のアメリカは知る由もありません。
写真から読み取れるのは、このロケットの規格外な大きさだけ。
こんな代物を、ただ地球周回用宇宙船の打ち上げに使うとはとても思えません。
NASAはソ連がこのロケットを用いて、月への飛行を計画していると結論付けます。
これに焦ったNASAはまたしても “人類初” を先にやられる訳にはいかないと、
急遽予定を変更して8号に月周回飛行を行わせる事としたのです。

この危険極まりないミッションに挑む事になった3人。
左からフランク ・ ボーマン、ウィリアム ・ アンダース、ジム ・ ラベル。

8号は技術的に安定してきた司令船 ・ 支援船のみの構成。
月着陸船の製造の遅れも、この飛行を本来の「ミッションF」ではなく、「C-Prime」という特殊な物にした要因でした。
しかしそれでも絶対に安全な飛行だとは言い難く、
月軌道に乗る事が出来なかった場合、永遠に宇宙を彷徨い続ける可能性すらありました。
それでも8号は順調に飛行し、月を10周して無事に地球へ還って来ました。
この時撮られたのが、 ↑ の有名な “Earth rise(地球の出)” の写真。
危険を顧みない勇敢な飛行で、8号の乗組員達は「TIME」誌の「マン ・ オブ ・ ザ ・ イヤー'68」に選ばれています。
・ アポロ9号(1969年3月3日打ち上げ)

【ミッションの分類】 | D |
【使用ロケット】 | サターンⅤ |
【乗組員】 | ・ ジム ・ マクディビット(船長) ・ デイヴ ・ スコット(司令船パイロット) ・ ラスティ ・ シュワイカート(月着陸船パイロット) |
【コールサイン】 | ・ 司令船 : Gumdrop(ガムドロップ) ・ 月着陸船 : Spider(スパイダー) |
【ミッションの目的】 | ・ 月着陸船の初の有人飛行 ・ 司令船及び支援船と月着陸船のランデブー ・ 司令船及び支援船と月着陸船のドッキング ・ 緊急時の船外経由での移動訓練 |
1967年10月の時点では、
●「ミッションC」として「アポロ7号」を打ち上げ
●「ミッションD」として「アポロ8号」をサターンIB×2機で打ち上げ
●「ミッションE」として「アポロ9号」をサターンⅤで打ち上げ
という、本来の順番通りの打ち上げ計画が組まれていました。
しかし8号の項で記載したように、ソ連の追い上げ ・ 月着陸船の製造遅延といった事由から計画は変更。
8号は「ミッションC-Prime」として司令船 ・ 支援船単独で月へと向かい、
9号は本来の8号の役目であった「ミッションD」の内容を行う事となったのです。

左からジム ・ マクディビット、デイヴ ・ スコット、ラスティ ・ シュワイカート。
実は彼らが当初の8号の乗組員となるはずでしたが、
月着陸船のノウハウに長けていたため、9号へと回されたという経緯があります。

9号では 『アポロ』 を構成する大切な要素として「月着陸船」が加わり、3つの宇宙船の総合試験といった様子でした。
月着陸船の搭載と絡んで、このミッション以降は司令船 ・ 月着陸船に「コールサイン(愛称)」を付ける事となりました。
9号の場合、司令船は青いセロハンに包まれて届けられた格好が、飴玉の包装に似ていたため「ガムドロップ(飴玉)」と。
月着陸船は下降段の着陸脚を広げた様子が、文字通り蜘蛛っぽかったので「スパイダー(蜘蛛)」と名付けられました。
肝心のミッションは、シュワイカートの宇宙酔いにより船外活動の殆どがキャンセルされるといったトラブルもあったものの、
司令船 ・ 支援船と月着陸船のランデブーやドッキングが可能だという事を証明しました。
月着陸船のテスト飛行も行われ、DPS(下降用) ・ APS(上昇用)双方のエンジンの燃焼試験の他、
実際の月着陸時と同様、下降段を切り離して上昇段だけで戻って来るといった試験が実施されました。
・ アポロ10号(1969年5月18日打ち上げ)

【ミッションの分類】 | F |
【使用ロケット】 | サターンⅤ |
【乗組員】 | ・ トム ・ スタッフォード(船長) ・ ジョン ・ ヤング(司令船パイロット) ・ ジーン ・ サーナン(月着陸船パイロット) |
【コールサイン】 | ・ 司令船 : Charlie Brown(チャーリー・ブラウン) ・ 月着陸船 : Snoopy(スヌーピー) |
【ミッションの目的】 | ・ 月面着陸の最終リハーサル ・ 月の引力下での飛行試験 ・ 月軌道上でのランデブー ・ ドッキング試験 ・ 地上の追跡装置や制御施設の試験 |
まだ「アポロ計画」における有人飛行は4度目、月周回飛行は2度目だと言うのにもう “最終リハーサル” です。
それもそのはず、もう1969年の半ばにまで来てるのです。
スケジュール的にもこれがギリギリでした。
ちなみに、今回の司令船 ・ 月着陸船のコールサインはお馴染みの「あの漫画」からw

確かに “いつも一緒に居る” という意味で、適当なネーミングなのかもしれませんw
ただしこのコールサインをNASA側は気に入らなかったようで、これ以降はもう少し含蓄のある物とするよう指導が入ったんだとか・・・

何故か笑ってる写真が無いこの3人。
左からジーン ・ サーナン、トム ・ スタッフォード、ジョン ・ ヤング。

10号では次の11号における着陸予定地点周辺の上空を飛行。
月着陸船単独で月面から15.6kmの距離まで接近しました。
降下中に事前の設定ミスによる姿勢制御システムの誤作動から、危うく月面に墜落しかけたものの、
どうにか乗り切って通信やエンジン、誘導、レーダーといった全てのシステムのテストを行いました。
10号は月からの帰還時に、39,897km/hという有人の乗り物としては史上最速を出した事でも知られています。
ちなみに、月着陸船 “スヌーピー” の上昇段はまだ太陽軌道上にあり、実際に使われた物として唯一その形を留めています。
/ ̄ ̄\
/ ⌒ ⌒ \ さぁ、次回はいよいよ月面着陸!
. | (⌒)(⌒) | 『アポロ11号』 と 『アポロ12号』 を扱います
| (__人__) |
| ` ⌒´ |
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ヽ ノ
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