群馬大学GA研究会 なんでもにっき

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東武8000系 -その歩みを追う

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Presented by CHAKE...

彼が「東武の象徴」だったのも今や昔なのかな。








東武8000系は東武鉄道の通勤形電車です。

1963(昭和38)年から1983(昭和58)年まで20年に渡り製造され、1系列当たり私鉄最多の712両が製造された事で有名です。



詳しくは以前の記事へ → http://apg.blog3.fc2.com/blog-entry-275.html





今でこそ若干影を潜めてきた感がありますが、かつてはそれこそ東武全線で見かけると言っても過言でない勢力でした。


今回はそんな東武8000系の、製造当初から現在までの “歴史” を見ていきたいと思います。















1963(昭和38)年 : 製造開始


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全ての8000系の基本となるのが、この4両編成のタイプ。

モハ8200形にパンタグラフ(PT-42J)2基と主制御器(VMC-HT-20A)を搭載し、
モハ8300形に電動発電機(MG)(HG-533Irb)とコンプレッサー(CP)(C-2000N)を搭載していました。


当時の塗装は、「ロイヤルベージュ」と「インターナショナルオレンジ」のツートンでした。















1964(昭和39)年 : 増結編成登場


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製造開始の翌年には早速別タイプとなる2両編成が登場します。

車番は4両編成の続番とされ、モハ8500形にパンタグラフ1基と主制御器(VMC-HT-10A)を、
クハ8600形に電動発電機(HG-533Mrb)とコンプレッサー(D-3-FR)を搭載しました。


また主電動機(モーター)に4両編成とは異なる物を搭載したため、やや走行音が異なっているのが特徴です。

運用としては、4両編成に連結し4+2の6両編成を組む場合が大抵でした。















1971(昭和46)年~1972(昭和47)年 : 一部4両編成を6両編成化


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昭和40年代半ばになると沿線の宅地化が進み、日中も6両編成での運用が当たり前となって来ます。

これで上記の4+2の6両では中間の運転台スペースが邪魔なので、
新たにサハ8700形とモハ8800形の2両を製造し、既存の4両編成に組み込むという大技をやってのけました。

サハ8700形は運転台の無いクハ8600形、モハ8800形は同じく運転台の無いモハ8500形と見れば判り易いと思います。


これにより、8101編成から8114編成までの車両が6両編成化されました。















1972(昭和47)年 : 新製時より6両編成 ・ 冷房装置搭載編成登場


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既存編成の6両化と時を同じくして、製造当初から6両編成の車両が登場します。

またこの車両は8000系で初めての冷房装置(RPU-3002)を搭載。
1両当たり4基の集約分散式のタイプで、当時としては強力な物でした(10,500kcal×4)。


冷房装置が屋根のスペースを喰ったため、パンタグラフはより小型の下枠交差式の物(PT-4801)に変更。
電動発電機も、冷房の使用時に備え大容量の物(CLG-350D)に変更されました。

また、若干天井の高さが低くなりました(2,380mm → 2,220mm)。















1973(昭和48)年 : 非冷房車への冷房化改造開始


改造工事は津覇車両(西新井)とアルナ工機(兵庫 ・ 尼崎)で施行。

それでも対象車両が2 ・ 4 ・ 6両編成と多岐に渡っていたため、改造工事は1983(昭和58)年までかかりました。















1974(昭和49)年 : 塗装を変更


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前年から発生した第一次オイルショック等の影響を受け、東武鉄道の経営状態が悪化
これにより塗装工程を省くため、車体塗装を「セイジクリーム」一色とします。

前の塗装パターンは色調的にやや重い印象だったため、変更直後こそこの塗装は好意的に受け止められました。


しかし段々とその素っ気ない塗装に批判が集まり、遂には「下塗り」とまで言われるようになってしまいます。

この塗装が続くのは実に11年・・・・・・















1977(昭和52)年 : 8両編成登場


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本線に輪をかけて宅地化 ・ 混雑の激化が進んでいた東上線に、8両編成が導入されます。
これで8000系は4タイプ目。

ここでまた新形式となるサハ8900形が登場しますが、8両編成では同車を2両組み込む形となったため、
同一編成内で、編成番号が上り方と下り方で異なるという奇妙な事になりました。

編成自体は上り方を基準にして数えるため、8両編成では番号が奇数の編成しか存在しない事に















1979(昭和54)年 : とうとう車番が80000代に突入


この年に登場した8両編成の8199編成から、上述の論理で下り方4両の編成番号が3桁に突入
例えば「クハ81101」なら、読み方は「クハはっせんひゃく(の)ひゃくいち」となります。

ちなみに最多番号は、81115編成(8両編成)の「サハ89116」でした。















1983(昭和58)年 : 製造終了


20年に渡る製造にもとうとう終止符。
最終編成は81120編成(4両編成)と8580編成(2両編成)でした。

途中、1975(昭和50)年度だけ製造が1両も無かったり、ステンレス車体が試作されたりもしましたが、
概ね大した変化も無く製造終了となりました。


東武通勤車は9000系10000系といった次世代に・・・・・・















1985(昭和60)年 : 塗装を再度変更


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いい加減評判の悪かったセイジクリーム一色塗装を再変更。
ジャスミンホワイト」の車体に「ロイヤルブルー」と「リフレッシュブルー」の帯を巻く、現行の塗装となりました。

同じくセイジクリーム塗装車だった3000系列5000系列も、この塗装へと改められました。















1986(昭和61)年 : 修繕工事開始


登場から20年以上が経過し、若干陳腐化が目立ってきた8000系。
そこで、内外装に渡るリニューアル(修繕工事)を行う事に。


詳細は以前の記事に記載したので省きますが、この修繕工事自体も息の長いものに・・・・・・

何とこの後2007(平成19)年まで20年以上行われました















1991(平成3)年~1995(平成7)年 : 一部4両編成を6両編成化


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この30年程前にも同じような事をやってましたが、その時とはまた少し方式が異なります。

あの時は最初から「中間車」として製造された車両を組み込んでいましたが、
今回は2両編成を運転台を撤去して「中間車化」した上で、モハ8300形とクハ8400形の間に組み込みました。


この工事は、修繕工事と共に施行されたもの。
その際にモハ8500形はモハ8800形へクハ8500形はサハ8700形へと改番されました。

組み込みには4両編成と同じ編成番号の2両編成が宛がわれたため、編成内の番号は揃っています。















2004(平成16)年 : 一部編成を「セミ」6両編成化


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野田線に配属されている4+2の6両編成の内、

・ 8131編成+8501編成
・ 8132編成+8533編成
・ 8133編成+8532編成
・ 8134編成+8523編成
・ 8153編成+8542編成
・ 8155編成+8521編成

において、中間のクハ8400形 ・ モハ8500形の運転台機器の撤去が行われました



これは後述の800系 ・ 850系に搭載する運転台機器を確保する意味合いで行われたもの。

あくまで「セミ」と銘打っているのは、運転台のスペース自体は残っているため

工事内容としてはスカート(排障器)、モハ8500形の前面に設置されていたジャンパ栓、前面の表示幕、前照灯 ・ 尾灯を含むライトケースの撤去、そして乗務員室内の運転台機器一式を撤去が行われました。















2004(平成16)年~2005(平成17)年 : 3両編成(800系 ・ 850系)登場


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旅客減少の一途を辿る北関東の閑散線区用に、ワンマン運転用設備の搭載と修繕工事を同時に行い登場。
東武鉄道の新性能車では初となる、奇数の3両編成となりました。

上り方3両を使用し、中間にパンタグラフを搭載するのが800系
下り方3両を使用し、所謂 “前パン” 構造(先頭車両にパンタグラフを搭載する事)となっているのが850系です。

電動車 : 付随車の比率が2 : 1となったため、若干起動加速度が向上しました(2.23km/h/s → 2.5km/h/s)。



そしてこの改造を行った際に、中間のサハ8900形2両が廃車となったため、
8000系が持ち続けていた「総勢712両」という記録に終止符が打たれたのでした。















2007(平成19)年~2008(平成20)年 : 一部8両編成を4両編成×2本に


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これもやはり、ワンマン運転用車両を確保する意味合いで行われたものです。

東上線の8両編成において中間のサハ8900形にそれぞれ先頭車化改造を施し、4両編成×2本に分割しました。
新製ではなく改造によって4両編成が誕生するのは、8000系史上初めての事でした。


なお、これにより8両編成当初存在しなかった「編成番号が偶数の車両」が誕生する事ともなりました。

























如何でしたでしょうか?

東武8000系の持つ半世紀近い歴史を実感頂けたでしょうか。





後継車の10000系列の修繕工事が行われる昨今、8000系は自然と淘汰されていく運命にあります。


現在、東武線内で8000系(800系 ・ 850系含む)を見られるのは

伊勢崎線(館林~伊勢崎) ※主体は太田~伊勢崎間
日光線(栃木~新栃木) ※宇都宮線への直通列車に限る
東上線
野田線
宇都宮線
越生線
亀戸線
大師線
佐野線
小泉線
桐生線



線区だけを書けば、一応鬼怒川線を除く全線で見られる状態が続いている事になりますが、
本線系(伊勢崎線 ・ 日光線)の大部分からは既に消滅済み。

東上線でも、来年以降導入される予定のATC(自動列車停止装置)によって池袋~小川町間では姿を消す事になります。








しかし、8000系が東武鉄道の屋台骨を支えてきた通勤車である事は疑いようがありません。

一時代を築いた老兵は、歴史の中にその名を留め続ける事となるのでしょう。


























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       |::::::::::::::    | / (●) (●)   \  8000系しか居ない線区はお先真っ暗って言う・・・・・・
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     .  ヽ::::::::::::::    }  \   ` ⌒´     _/
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